『エリアレポート』では毎回ECOTエリアの名所をご紹介します。
『笠寺観音』
2002年4月号
◆
天林山 笠覆寺(りゅうふくじ)
「笠寺観音(かさでらかんのん)」
の名で人々に親しまれ、
尾張四観音
、
尾張三十三観音
に数えられる真言宗のお寺です。笠寺観音に伝わる
「観音縁起」
によると、 奈良時代に禅光という僧侶が流木で
十一面観世音菩薩
像(本尊)を刻み、笠覆寺の前身である小松寺を建立したのが始まりとなっています。
平安時代になって、この寺が荒れ果て、
本尊が雨ざらしになっているのを見かねたある娘が自分の笠を取って観音様に被せました
。 後、太政大臣藤原基経の子である兼平の夫人、
玉照姫
となったこの娘は兼平と共にこの地に広大な寺領を寄進し、笠覆寺を建立しました。
◆
尾張四観音
甚目寺観音、荒子観音、笠寺観音、竜泉寺観音の四寺院。四観音の発祥は400年ほど前、徳川家康が名古屋城築城の際に城下町の鬼門の方角にあった四寺院を「名古屋城鎮護」として定めたことに始まるそうです。 江戸期には、政治的な背景から
他国の侵略を防ぐ陣地
、
城下への出入りの管理所
、
庶民に散財させる場
等、様々な機能を持つ重要な場所としても、その役割を担っていました。
◆
尾張三十三観音
元禄年間に西国に倣って各地で観音巡礼が盛んになった事を受け、尾張地区でも三十三箇所の札所が設けられました。 以降、江戸期を通じて庶民信仰の道場として賑わいましたが、明治維新の廃仏毀釈や太平洋戦争での被災により、著しく衰退。 しかしながら、昭和30年代前半、熱心な信者の呼掛けにより、霊場再結成の気運が高まり、八事山興正寺において開創法会が行われたのが、現存する三十三観音のはじまりとなっています。 現在では、
宝生院 大須観音を第一番とし、八事山 興正寺を第三十三番目とする道程約340km程の巡礼コースが設定されています
。
◆
十一面観世音菩薩像
頭上に十一面観世音菩薩の顔を戴く観世音菩薩像で、奈良期から造立が始まった変化観音像の中では最も多く造られました。 頭上の十一面観世音菩薩は、正面の
慈悲を表す相
の三面、左の
悪事を戒める相
の三面、右の
善人を誉める相
の三面、 背後の
悪事を働く者をあざ笑い改心させる相
の一面、
頭上の如来面
から成っています。
悩み・病苦・厄災・悪夢を取り除き、特に病気退散にご利益があると言われ信仰されています
。
◆
仁王門前の池
水が少なくそれほど大きな池ではありませんが、
すごい数の亀!
ぱっと見ただけでも30匹程は、いたかと思います。 最初、何気なく水面に視線を落とした時は、単なる石だと思ったのですが、
それが全部亀であることに気づいたときは、妙な感動を覚えました
。 亀が水面でのんびりしている現在からは、ちょっと想像しにくいのですが、この池には、次のような伝説があります。
その昔この池から龍が現れ、東海道を通行する人馬を苦しめ怖がらせていた。そんなある日、困惑していた住職の夢に十一面観世音菩薩が現れ、 「本堂にある絵馬の龍が暴れている」とのおつげがあったので、さっそく仏前に絵馬を供え、特別な祈祷をした後、その絵馬を中央から真っ二つに切ったところ、以降、竜が現れることはなくなったそうです。
◆
仁王門
左右を仁王様に守られた立派な門が本堂前にそびえています。仁王像は通常、仏法守護の神像として阿形像(あぎょうぞう)・吽形像(うんぎょうぞう)で一対となっていますが、 この門でもそれは踏襲されています。ただ、門自体も様々な彫刻物で彩られており、表中央には鷹(鷲?)、裏中央には猿が掲げられています。 注目すべきは、夫々の仁王像の頭上前面にあたる位置に行李(?)の蓋と器と思われる彫刻があり、一切が発生する理体をあらわす阿、一切の終結する智得を表わす吽と対応するような形となっていることです。
先人が何を表現しようとしたのか?門にあるこの様々な彫刻を見ているだけでも、色々な想像ができて面白いものです
。
◆
石灯籠
仁王門の手前両脇に、一対のおおきな石の灯篭が立っています。表面には
「笠寺観世音」
と刻まれ、裏には
「文久三癸亥(みずのとい)年五月」
と刻まれています。 文久三年(1863年)と言えば、幕末動乱の真っ只中ですから、恐らく、その動乱期を無事に過ごすことができるようにとの祈りを込めて寄進されたものでしょう。 側面に寄進者と思われる人(団体?)の名が刻まれていますが、
残念ながら当方の力不足で読むことができませんでした
。
由来等、ご存知の方がいらっしゃいましたら教えてくださいませ
。
◆
裏庭(駐車場)
何基かの石碑・石塔が並んでいます。その内一番大きな石碑は
「冠峯先生景仰之碑」
と題され、熊本県出身者で初の総理大臣となった清浦奎吾を称えるような内容となっています。 碑文の最後には「昭和十四年十月 蘇峰 徳富猪一郎撰 芳賀剛太郎書」という署名があり、やはり熊本県出身の歴史家である徳富蘇峰の名が刻まれています。 他にも
「大ノ山金三郎 日本大相撲協会 木村勝次書」
と刻まれた石碑があり、これにも熊本郷土文学の作者である木村勝次の名があります。 さて、笠寺観音と熊本県とのつながりは如何なるものなのか?
これも、未だ未確認
ですが、
ご存知の方がいらっしゃいましたら是非お教えいただければ、と思います
。
◆
境内
多宝塔や様々な記念碑があります。一つ一つは紹介いたしませんが、中には
「宮本武蔵碑」
などがあり歴史の狭間に触れるような面白さがあります。
平安朝から第二大戦後に至るまで、様々な歴史に彩られている名所です。お寺の周りは如何にも昔の街道筋といった佇まいで、普段参拝に訪れる方々でも見落としがちな小さな史跡の一つ一つが、歴史の証人として静かに時を過ごしているような感じを受けました。
下町情緒溢れる落ち着いた雰囲気が好きな方には特におすすめです
。
リポーター:Miyazawa
本文中に記載されている社名、商品名及びロゴは各社の商標または登録商標です。2002-2008 (C) エヌティーシステム株式会社
この Web site に関する質問やコメントについては、
ecot_master@myecot.com
まで。